昭和50年09月08日 特別奉修委員



 有り難うなっていくとか、一段一段位が付くとかと言う様な、教祖様のお言葉を頂いておる訳ですけれども。結局はあの神様の働きを、あの信ずると言う事が根本ですね。だからあの一年一年愈々その、信ずる心というものが広う深うなって行くに従って有り難いというものもやっぱ広う、深うなって行くのであります。同時におかげも又それと伴のうて行くのです。だからこそ年を取るに従って位が付くですね。
 だからあの神様を信じれるあの働きというものを、何かチャンスを頂いた時にそれをいい加減にしては、力は付きませんね。あのこの頃からも桜井先生のとこの奥さんが具合が悪い時に、丁度里からお母さんが見えとったから、ぜひ病院に見せてくれたという。だからまぁだからまぁ見せたとこう言われるんですけども、行った所が丁度病院が休みであったと。それで帰らせて頂いて。それでも矢張りだいぶん良くなられたんだそうですけれども、明くる日に又念の為にこの行っておられる。
 そしてあのまぁ医者にいうなら掛らんなりにおかげを頂いた事になっとるんですけれども、もうこのお母さんが見えて病院に掛けてくれと言われたから掛けたというのも口実であって、こちらに実際は確信があるならね。あのそりゃあの親子の中の事ですから、同時になら桜井先生としては奥さんのお母さんの事ですからもう今、今のあれじゃない。もう長年金光様の教師まで二人なら拝命しておられるくらいですから。いやお母さん大丈夫ですが。おかげ頂きますよちいうたらお母さんまでおかげ頂く。
 だってお母さんも信者ですからね、小郡教会の信者さん。それをなら自分が方がそれに便乗して、もう見せておる訳ですね。そしてならおかげ頂いておりますけれども、あのならそこんにきですね。あのもう大抵いい加減に分からんかというのが、頂くけれども留守だったというだけででもねぴたっと来にゃいかん。分からにゃいかん所でしょうそれを一つ一つ、あの信ずる力を頂くと言う事の働きに持っていってないですね。
 だからおかげ頂かんと私は思うんですけども。このその場合何時でもあの愈々、ギリギリの時に力を受けるという時に、あのそういう結果になっておられる様ですね。だからやっぱおかげ頂くと思うなら頂かん。ほんなどげなよか信心しよったっちゃ、もう愈々ん時にですねその信ずる力を与えて下さろうとする時に、それ右左にして行くからおかげが右左になって行くとです。今あの川上さんがもうそれこそ毎日、合楽の示現活動を。もう行き戻り車の中でもなさる。
 今日も何人の人にも話させて貰うて、それからその運転手さんにもいろいろ、まぁ信心のお話をさせて頂いておる。運転手さんにあの信心で病気は治りませんもんな、ち、その言わっしゃった。その時もう間髪を入れずにそうですよち。もう本当に私の参っておるところの金光様の先生は、とにかく病気治しや災難よけの神ではない。心治しの神とおっしゃるから、心が治って来るから体は癒えて来るのですよと。まぁもう間髪を入れず説明をしておられますですね。
 そしたら運転手さんじゃなくて、横の人がはぁそげなこっですか、そうでしょうねと言うて、えらい関心されたと言う事で御座いますけれども。あのね折角その確信を持っとらなければ、その間髪を入れずに、人に説明してやる事が出来ないです。 
 是だけは本当にそうです。自分が確信しない事をまた人に伝えたって大した事ないです。佐田さんからお届けがありましたが、親戚の方からもう本当にまぁ今金銭であの色々大変財産家ですけれども金に困っておられる。そこにそのまぁ全然当てもしない金が二十万円送って来たというて、早速お礼お届けをもう大変な喜びです。その全然あてもしなかった金が送って来た訳ですからね。所が明くる日見た所がそれが、ほんなもんじゃなかったげな。と云う訳ですよね。
 そういう時をもうがっかりした、その電話が佐田さんには掛って来よる時に、その向こうは本田さんと言いますもんね。本田さんそれはおかげですよと。例えばその一日だけでもおかげ頂いたと思えると言う事もばってんね、その間違えさせなさった神様の事ば思うてご覧。とてもとてもそりゃおかげよ、というてまぁあのいわゆる教祖様の、あの金を拾わすという言われて落ちてなかった時の、教祖様のお態度又はあの親戚においでになった、お悔みに出ておられてから実際は、あの亡くなってはおられなかった。
 本当に戻しの風は十層倍というて帰れと仰ったと言った様な、教祖様のいうならばあの、そういうお話しをですね、あのそれに加えて話しをしておられます。もうおられるです、もう話ししよって見事です。もう絶対助かるです。それなら佐田さん自身がそれを確信しておられるからですよ。だからもう本当に間髪を入れずにね、あのそれにあの対応出来るようなあの信心を頂きたいと言う事だけを、例えばこの頃熊本地方では、各教会であのいろいろな宗教が。
 いろいろお導きして回ったりしてそのお話の、その稽古があっておるそうです。それが家庭のね、例えば呼で来る信者をそういう人を見た時には、こげな風にはならん商売で難儀をしておる、お金が足りないという人にはこげなそのそういう丁度対話的なね、まぁ丁度まぁいうならお芝居の様な事ですたい。そういうものをこう出しといてそれを2人でこう問答させるんです。
 と言った様なその信心研修が今大変流行り、流行っておると言う事ですがね。そげなこつば例えばいくら覚えたっちゃおかげにはならんて。その話す人がそれを本当に確信して、もう打てば響く様に次に出ておる言葉が、もうおかげを頂く言葉でなからにゃ出来ん。例えば竹内先生が幹三郎のあの肉腫の時に、お届けに行かれた時に金光様が大変お目が悪い、特に悪かったお時代ですから、あのあれに書いてあった訳ですね。あのお初穂に。したら金光様がその肉腫を内腫と見られた訳です。
 だから是は内腫ですかと仰ったというんですよ。だから私は竹内先生もう内腫に決まったて、私があの帰って来てみえた時に言いまして、皆さんにも何回も聞いて頂いたんですけども。惟なんですよ金光様のお言葉ですもの。間違いちゅうちからそげな事言いなさったげなち、ハハッちいうて笑う人があるんです。もう可笑しな話しですよ。ある時に福岡の吉木先生が善導寺からごぼう買われて秋永先生に頼まれた。一生懸命の時ですからね。それで大橋から自分方、家まで駅から家まで持っていかんならん。
 そりゃ相当重たいのじゃったから、そうにゃ重うなからにゃんとに、もう本当に全然重さを感じずに、そして明くる日福岡の教会に自転車で乗って持っていく時には非常に重かったというお届けをしたんだと私が。その時分にある年あの先生のまぁ教師の資格とったばっかりの先生がおられましたがね、それば聞いちからはぁからからと笑わっしゃったち。もう本当にあのがっかりでしょうが。そげな事がありますもんねと、云う事は自分自身もそういう体験を頂いておらなきゃ言えんのです。
 ほうそげな事があるですかち言うたっちゃもういかんです。からから笑うなんてもういよいよ可笑しいです。けれどもなら自分自身にもなら教祖の神様が、あの唐臼を引かれる時に、さぁ神が手をかけるぞと仰ったら軽うなり、神の手を放すぞとおっしゃりゃ重うなる。そういう事跡があるんですからね。ですからやっぱ教祖様のね、御時代もそう言う事があって有り難い事ですねと御用ちゃ有り難い。そりゃ秋永先生有頂天になって有り難かったでしょうよ。
 もうからからと笑われたもんだから、がっかりしたという話しがありますがね。もう問題は自分自身がその時に、それを確信出来れる内容を持っとかなければ出来ない。今朝から、信心は年をとる程位が付くものじゃ、と言う事は信心しよれば位が付くと言う事じゃない。いくら歳を五十まで経っても六十になっても、八十になっても同じ事だと。信心させて頂いておれば、一年一年有り難うなって来ると仰せらえる。
 一年一年有り難うなるから、位が付くのだと言う事ですね。またそういうなら有り難うなるとか、位が付くとかいうても、なら根本は神様の確信からしか生まれて来ない。なら神様が信じてくれと言わんばかりに、演出をなさっておられる事がある。もう堪らんという、頭が痛うなったさぁ腹が痛か、さぁ医者と言わずにこん時こそ力を頂く時だ。この時こそ、いうならば神様を試す時でもあると言う様な気持でね、頑張り抜きゃ良いけれども、誰かがちょっと一緒に声かけられると、はいち言うていった。
 そして医者がいなかった。もうそれが本当いうたらハッと気が付かないかん所。それでもまた明くる日行った。もう可笑しな話しです。だからおかげの世界ならそれでもよいでしょうけれども、位が付いて行く程しの信心には、その確信こそが大事ですから。愈々何かという時にはもう愈々そういう力を頂かせて頂く、まぁチャンスだと思うてね。そこん所を大事にしていけれる、いうなら信心の度胸を作っていかなければいけません。
   どうぞ。